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愛、恋、旅、そして恋愛 (ある女の物語Ⅰ)

 

モスクワ(第三章)

 

まだ真夏だというのに、しとしとと冷たい雨が降るモスクワの街は,彼女にとっては冬の様に寒く感じました。赤の広場の真ん中に立ち、お伽話に出てくるような色鮮やかで、玉葱のような形をした尖塔を持つ聖ワシリー大聖堂を目の前にして、自分が本当に外国に来たのだという実感を味わいました。そして少し前に別れてきた彼を思いだしながら、

 

「今、彼が私と一緒にここに居たら、この風景を見て何というかしら?」

 

なんて呟きました。 

 

でも不思議なことに、彼の傍に戻りたいという気持ちに襲われることは余り有りません。日本を離れてからのロシア旅行中は何もかもが珍しく、興奮と不安との毎日を過ごしていたからかもしれません。ですから彼女の心の中は新しいことに挑戦することだけが精一杯で、日本に残してきた彼のことを思う余裕が余り無くなってきていたのです。その上、彼との恋は神父様との悲しい恋とは全く違っていて、彼を失ったという感覚は少しもありませんでした。日本に帰ってから結婚するのだという安堵感がある程度あったからかもしれません。でも、赤の広場の光景はあまりにも特別で、日本に残してきた彼のことを久々に思い出し、彼に見せてあげたいと心から思ったのです。

 

聖ワシリー大聖堂から右手の方を見ると、白い壁に金の装飾が施された壮大なクレムリンの宮殿が、赤褐色のレンガで作られた城壁の少し後ろに姿を現していました。どこまでも続いているかの様に見えるその城壁は雨に濡れていたせいで一層赤く見え、宮殿の威厳を普段以上に保っているかのようにさえ見えます。

 

正午近くになり、城壁の中央にある正門の前では護衛兵交代の儀式が始まりました。これから任務を引き続く護衛兵達は銃を左の肩に掲げ、まるでおもちゃの兵隊さんのように、右手と両足をゆっくりと高く上げながらクレムリンの正門の前に近づいてきます。彼らは深緑の兵服とロシア帽、ウシャンカをまとっていて、正門の前でピシッと立ち止まり、それ迄長い間動くことなく門の前で起立していた護衛兵達の前で、速やかに銃を肩から降ろしたのです。そうすると、任務を終えた護衛兵達も、同じタイミングで銃を降ろし、今まで起立していたその場所を次の護衛兵達に速やかに譲りました。その仕草の、余りの正確さに彼女は圧倒されました。そして、その重々しい儀式が終わり、新しい護衛兵達が正門の前に銃を掲げて起立したその瞬間、クレムリンの大時計の鐘が遠くまで鳴り響き始めたのです。一秒の誤差もなく。その鐘の音色は、灰色の空に溶けるように消えていきました。

 

その周りでは、冷たい雨に濡れないよう、地味な長いコートの襟を立て、寒そうに歩いている街の人々がいます。鈍よりとした空の下で暗い趣(おもむき)をしているその姿は、まるで将来の希望を失い、明日も無いかのように歩いているみたいで、彼等がとても不敏に思えました。彼女自身、横浜を去ってから、たった4日間の間にロシア政府の厳しさを何回か目にしてきています。ナホトカに着いた時に船の中にライフルをもってドタドタと入ってきた検査員の厳しい態度もそうですが、もっとショックだったのはハバロスクからモスクワにくる飛行機の中での出来事です。そんな経験もある彼女は、ロシアに対して、こんな風に思いました。

 

「今迄日本で何度でも報道されていたとおり、ロシアという国は何事にも厳しく、あの護衛兵交代儀式の時の様に、ロシアの人々に対しても厳格に取り締まる冷たい国なのかしら。」

 

 

貴方にサヨナラ言ってから、まだそんなに経っていないわ。

赤い広場の前で、貴方がここに居たら何というかしらと思う。

まだ日本は夏だけど、ここはもう冬みたい。

冷たい雨に濡れると、私の心も凍る。

モスクワの街は、何故か淋しい。

希望を失い、明日もないかのように、人々は街をさ迷う。

今クレムリンの兵隊が、時計の音に合わせ変わる。

この街もそんなに、冷たい街かしら、

 

でも彼女は心の底では理解していました。ロシアと言う国自体が厳しい国であっても、そこに住む人達が皆、必ずそうだとは限らないことを。ただ政治政策が国民を影響していて、その抑制の下、政府に従わなければならないのでしょう。ロシアにも心の優しい人達がいることを証明してくれるのは、彼女がクルーズ船で出逢ったウェイトレス、ナージャや、飛行機内で隣に座っていた軍人さんの存在です。とにかく、一人一人に直接接すると彼らの様にとても親切で朗らかな人達にもロシアにはたくさんいるのです。彼女が思うに、世界中の誰もが自分だけでなく、愛する子供達や家族そして友達の幸せを守るために、皆必死に生きている人ばかりなのです。そしてそういう意味ではロシア人も例外ではありません。ただそうするためには、ロシアでは、まず政府の規律を守らなくてはならないのでしょう。

 

そんな思いを胸に、小雨の降り続くその日の午後、経済博物館、モスクワ大学、そしてロシアの知名人のお墓などを見物し、翌日、飛行機でスエーデンのストックホルムへ向かいます。6日間のグループツアーも終わり、これからが彼女の本当の一人旅が始まるのです。彼女はそのことに少し不安を感じながらストックホルムの雲一つ無い青い空を眺め、飛行機のタラップをゆっくりと降りました。

 

飛行場の出口で仲良くなったグループツァーの人達に別れを告げ、彼女はストックホルム市内行きのバスに乗りました。そして街にたどり着くと、まず鉄道の駅のコインロッカーを探し、バックパックをそのロッカーに収めます。大きな荷物を担いで観光旅行をすると、とても不自由ですから。身軽になって最初はあてもなく街をぶらぶらと歩きました。女の一人旅で全く怖くなかったかと言うとそれは嘘です。でも初めて見る多種の光景が物珍しく、興味津々で、怖いどころではありませんでした。街を歩きながら通り過ぎる人々を見て、彼女が最初に驚いたのは北欧人の立派な体格です。女性でも皆、背丈は180㎝以上、そして体重は彼女の二倍以上はありそうです。その頃の日本では、ほとんどの人が食料の少なかった戦後に生まれ育ったせいで、そんなに体が大きい人を見るのは稀でした。そして日本人の中でも背の低い、小柄な自分がなんとなく貧弱に思えた彼女でした… 

 

次に彼女が驚いたのは街の静けさです。東京に2年程住んでいた彼女は世界中の大都市も東京の様に混雑していると信じていました。ところがストックホルムでは何処に行っても、あまり歩いている人を見かけず閑散としています。その上、道路も東京の様に混雑していません。彼女はそんな光景を見て不思議な感覚に襲われました。

 

もう一つ興味深かった事が有ります。まだ八月中旬でしたが、日本よりもっと北に位置しているストックホルムの気温は、晴天の日でもかなり低いので、彼女は白いウールのセーターを着て歩いていました。でも中心街にある何件かのレストランを通ると、そこにはカラフルなパラソルの下で恰幅の良いスエーデンの人々がTシャツとショーツだけで、ビールや氷の入った冷たい飲み物を飲んでいます。やはり、スエーデンは日本よりもかなり北極に近い国なんだという事を彼女は思い知らされました。

 

その日の午後は有名な観光所、現代博物館や王宮を訪ねることにしました。王宮の前では、白いヘルメットと手袋、紺色の制服を着た、きりっとした姿の護衛が銃を抱えて門の前に起立しています。彼女は恐る恐る彼に近づいて、一緒に写真を撮ってもいいですかと尋ねたところ、快く受けいれてくれました。モスクワのクレムリン宮殿での厳しい顔つきをした護衛達とは全く違って、親切にも彼は銃を下ろし、カメラの方に体を向けて彼女の後ろでポーズをとってくれたのです。

 

その夜はユースホステルに泊まらず、夜汽車に乗りノルウェーに向かいました。良く眠れるようにと少しお金を出して寝台車の一室を予約したのですが、車輪の音が一晩中鳴り続け、うるさすぎて熟睡することはできませんでした。首都オスローに汽車が着くとまたバックパックをロッカーに収め、その足でまずバイキング博物館を訪れます。千年も前に作られたというその船を見た彼女は、

 

「こんな船が自分の住んでいる港街を襲ってきたら、本当に恐ろしいだろうな。」

 

と、思いました。どうしてかと言うと、博物館の高い天井の窓から太陽の光がさし、その光が古く煤けた黒色の船板に当たると、信じられ無い程ギラギラと黒光りし、とても恐ろしい雰囲気を醸し出していたからです。

 

その晩、オスローのユースホステルの女性寮に彼女は泊まりました。初めてのユースホステル滞在でしたので、少し戸惑いましたが、とにかくお金を払い、指定された部屋を探しました。廊下を通りながら部屋をのぞくと、中には二段ベッドが沢山置いてあり、合計8人から10人が一緒に宿泊することが出来るみたいです。ベッドと言っても古いマット一枚、その上に毛布、そして枕が一つ置いてあるだけでとてもキャシャなベッドです。そして新しい宿泊者には、奇麗に洗濯されたシーツ2枚と枕カバーが渡されます。シーツが2枚ある理由は、一枚は直接ベッドの上に敷き、その上にもう一枚のシーツと毛布を一緒に掛けるからです。そして宿泊者がその2枚のシーツの間に横たわり、枕をカバーすれば、毎日訪れる人が変わっても、清潔が保たれます。全く合理的なシステムだと彼女は思いました。

 

バックパックとシーツなどを手にして指定された部屋に入ると、何人もの若い女性達が下着姿で英語で会話をしています。でも彼女達のふくよかな体に目の置き場を失い、簡単に挨拶をして荷物をベッドの上に載せると、彼女はさっさと部屋を出てしまいました。外国の女性達はかなり自分の体に自信を持っているみたいで、他人の前で下着姿だけで話していても堂々としているのです。そんな彼女たちが多少羨ましくも思えました。

 

食堂では、世界中から訪れている若い青年達に囲まれて皆のおしゃべりを聞きながら夕飯を待ちます。その中には8か国語も話せるんだなどと、とても自慢している女性もいます。その女の人がヨーロッパの言葉だけが話せるのだと彼女は思っていたのですが、中国語も話せるとのこと。それには驚きました。でもそれから数年後、彼女は理解しました。中には、ただ外国語で一言二言、簡単な挨拶ができるだけで、そのように言っている人達が結構いるという事を。そんな自信ある外人の態度は、謙遜過ぎる日本人の中ではあまり見ることは有りません。もし日本人も、そんな態度で外国語に接すれば、もっと早く話すことが出来るのではとも思いました。

 

ホステルで出されたその日の夕食は、少しのお肉と野菜がたくさん入ったスープだけでとても質素な献立でした。ですからロシア旅行中の食事と比べると天と地の差が有ります。そんな中、彼女はロシア旅行中の豪華な料理を思い浮かべました。でもそれは仕方のないことなのです。北欧では物価が高く、一日5ドルで宿泊と食事を賄うためにはかなり節約しなければなりませんから。

 

彼女はその夜、北欧の白夜を経験しました。夜の10時過ぎになってもユースホステルの窓の外は明るく、なかなか眠りにつくことが出来ません。それでも彼女は翌朝6時に起き朝食をユースホステルで取ると、さっそく観光旅行に出かけました。まずは庭園に置かれている多種の彫刻で有名なフログナー公園に行きました。そこで、アメリカからその彫刻を見物に来ていた中年の男性、ジョンさんに会ったのです。彼は彫刻の一つ一つを興味深く観察し、とても素晴らしいと満足そうに庭園を歩き続けています。彼女の方はと言うと、恥ずかしながら、ガイドブックに載っていた場所をもう一ヶ所訪れたなんという, いい加減な目的で彫刻を見に行ったので、長居はしませんでした。そしてジョンさんと写真を一緒に取ってもらった後、オスローの街を見物するため、庭園を去りました。その後、街の所々にある小さな教会を訪れたり、繁華街を歩いたのですが、ストックホルムと同じで、繁華街と言ってもとても閑散としているのにまた驚かされました。その日は夜の10時まで約15時間歩き続けたのですが、彼女が一日にあんなに歩いたのはあの日が最初で最後です。

 

彼女の次の目的地はノルウェー北部にあるスタバンガーと言う所です。そこは別にノルウェーの名所だったわけではありません。たまたま彼女が英語学校に通っていた時に知り合った、ある同級生に頂いた紹介状の一通に書かれていた住所を頼って訪れただけなのです。その同級生は、かなり年上の男性で、彼女が日本を出る少し前に、

 

「一人旅は心細いだろうから、西ヨーロッパに住んでいる僕の知人に、君に何かあった時に訪れることが出来るよう、紹介状を書いてあげましょう。」

 

と、親切にも十数通の手紙を用意してくださいました。たまたまその一通にスタバンガーの住所が書かれていたのです。彼女はまた夜汽車に乗り、翌朝スタバンガーに着きました。道路を歩いている人達にメモ帳に書いてある住所を見せ、彼等が指示した通りに従って小高い道を昇っていくと、真新しい教会にたどり着きました。教会の門が閉まっていたので、その隣にある事務所を訪ねると、ブロンドの受付の女性に会議室に案内されました。その会議室は大きなガラスの窓で囲まれていて、床も壁も薄茶の木造。その中に太陽が燦燦と降り注ぎ、日本の建物とは全く違う雰囲気に包まれています。受付の女性は日本人の男性を電話で呼んでくれた後、わざわざ日本から彼女が来てくれたのだからと、色とりどりのサンドイッチと冷たいジュースまで用意してくれました。

 

少し経って現れた若い男性は、日本人にしてはとても背が高く、黒ぶちの眼鏡が印象的で、いかにもインテリと言う雰囲気を持っています。彼はノルウェーで語学を習いながら将来は牧師を目指しているとのこと。その男性と2時間ぐらいお昼を食べながら話したでしょうか。その教会訪問中、受付の女性も、日本男性もとても親切にしてくださったのですが、別に用もないのに突然訪れて、かえって彼等に迷惑をかけたのではと、彼女は後ろめたく感じました。そして一晩かけてスタバンガーまで行って、その目的が日本人との会話をすることだけだったという事に彼女は疑問まで持ち始めたのです。でもただ一つ言えることは、遠い外国の街で、たった一人で牧師になろうとして頑張っている若い日本人がいることを知っただけでも、良い経験だったのかもしれません。ですからその後どんな環境でどんな人に出会っても、何かの縁があるのではと彼女は思うようにもなりました。それと同時に、その後はよっぽどの事が無い限り、紹介状に頼らないことを決めた彼女でした。幸い、ヨーロッパ旅行中に非常事態に陥ったことは無かったので、残った紹介状を開けることはその後一度もありません。

 

そして彼女はまた夜汽車に乗り、オスローに戻りました。駅で昼食を取り、その後すぐ次の目的地に行く汽車に乗ります。その汽車の中から今まで見たことのない不思議な風景を見る機会に彼女は恵まれました。ノルウェーの地形は特にフィヨルドで有名ですが、そんな海岸沿いにある地形とは全く異なった風景を見ることが出来たのです。それは広い農地の真ん中にドーンと突き出た巨大で黒く霞んだ色の丘とも山とも言えない、しいて言えば恐竜の足をも思わせるような不思議な地形でした。彼女はその風景を見て一瞬驚かされました。でもその後の汽車の窓から見た景色は、木々の緑に囲まれ、閑散としたとても綺麗な街々の風景ばかりで、それまで乗った夜汽車ではほとんど見ることのない、北欧ならではの素晴らしい景色でした。